大学進学について思うこと~その1

前回の記事でご紹介し始めた本ですが、一旦休憩させて頂き、
今日から数回は、私の思いを少し述べさせていただきたいと思います。

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「大学進学について思うこと」

もうすぐ4月。
国会では「格差をなくそう」と、
貧しい家の子供たちの大学の費用を国が負担する方向で話が進んでいますが、
少し、私からお話したいことがあり、今回記事にしました。

昔の日本は、家が貧しければ、いくら頭がよくても、
高校に進むことすら難しいという時代がありました。
それはちょうど、私の両親世代やそれ以前のことです。
父は5人兄弟ですが、高校まで行かせてもらえたのは私の父だけ。
母も5人兄弟(うち2人は子供のころに死亡)ですが、
高校まで行かせてもらえたのは私の母だけという状態でした。
貧しい家に生まれた時点で、「格差」があるのは仕方がなかった時代です。

そして、大阪万博が行われた年に生まれた私。
小学校の入学式には、母親が着物を着て参列する風景が珍しくなかった時代です。
まだまだ、お金持ちと貧乏の差がはっきりしていた時代だろうと思います。
私の家は、サラリーマン家庭ではあったものの、はっきり言って「貧乏」な家でした。
だから子供のころから常に「あんたは私立には行かれへんねんで!
絶対に、国公立にしか行かれへんねんで!」と洗脳されて育ちました。(笑)

私はここ数年、「脳」や「脳科学」に関する専門書をたくさん読んでいるのですが、
どうやら私が小・中・高・大学とすべて国公立に進めたのは、
この小さいころからの親による「洗脳」が影響したのかもしれません。(笑)
というのも、多くの自己啓発本にも書いてあるように、
「如何に潜在意識をコントロールするか」に、
自分の夢が叶うかどうかがかかっているというのは、
皆さんもよくご存知だと思います。
私は幼いころから親に呪いをかけられるかの如く、
「国公立に行かなければ、進学できない…」という恐怖が
潜在意識に強く刷り込まれた結果、親の目論見どおり、
すべて国公立という学歴になったのではないかと思うのです。(笑)

親の収入によって、貧困がずっと(世代を超えて)連鎖していく…
という現実は、否定できないでしょう。
だからといって、誰もかれも「平等」にする必要が必ずしもあるのかどうか、
私には正直よくわかりません。
人間は、生まれながらにして「格差」がついているのは当たり前のことです。
親は子供を産むか産まないか決めることができますが、
生まれてくる子どもの方は親を選べなければ、性別も選べない。
金持ちの家に生まれたくても、貧乏な家に生まれてしまう。
健康に生まれる子もいれば、難病をもって生まれてくる子もいる。
綺麗な子もいれば、醜い子もいる。
これは、生まれながらに「人間は平等ではない」ということでしょう。

「平等」を辞書で引くと、「差別がなくみな一様に等しいこと」。
一方、「公平」を辞書で引くと、
「判断・行動に当たり、いずれにもかたよらず、えこひいきしないこと」。
私は、最近の日本人って「平等」と「公平」を混同しすぎなのではないかと思うのです。
学校教育において「公平」であるべきだとは思いますが、
そもそも人間は「平等」な存在ではないわけですから、
「平等であるべきだ!」というのは、少し違うような気がするのです。

「ハングリー精神」という言葉があります。「気骨」と言い換えてもいいでしょう。
私には、この精神が幼いころから植えつけられていたように思います。
貧乏人だからこそ、格差に負けず、
自分の持って生まれた才を活かし未来を切り開くための意気込みが、
お金持ちの家に生まれた人たちの何倍も強かったように思います。
だから、良いか悪いかは別として、お金持ちの家に生まれ、
何不自由ない生活をしてきた「ポワ~」としたお嬢様に比べると、
もの凄く芯のしっかりした強い女性に育ったと思います。
何事も自分の責任で決めて、何が起こっても他人のせいにせず、
自分の人生を自分の力で切り開くことを当たり前だと考える人間になりました。

~つづく~




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