幸せになるために~シンプル&スマートライフのススメ

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2023-12-02 (Sat)

足るを知る者は富めり

足るを知る者は富めり

とうとう、今年も最後の1月に入ってしまいました。毎年「あっという間」だと思う1年ですが、今年は案外さっさと流れていく感覚は少なく、充実した1年を過ごしたように思います。また、新たな人生を開拓し始めた私。10年以上旅行をしていなかったのですが、先月久しぶりに旅行に出かけ、新たな人との出会いもあり、今後の人生計画に「現実感」と「スピード感」が増し加わったように思っています。さて、どうにかこうにか、1月に1回...

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とうとう、今年も最後の1月に入ってしまいました。
毎年「あっという間」だと思う1年ですが、
今年は案外さっさと流れていく感覚は少なく、
充実した1年を過ごしたように思います。

また、新たな人生を開拓し始めた私。
10年以上旅行をしていなかったのですが、
先月久しぶりに旅行に出かけ、新たな人との出会いもあり、
今後の人生計画に「現実感」と「スピード感」が増し加わったように思っています。


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さて、どうにかこうにか、1月に1回は更新するペースで、
このブログも閉鎖することなく続けていますが、
恐らくこれが今年最後の更新かな?…ということで、前回からの続きです。

私の人生の書『生き方』(稲盛和夫著)から、ご紹介します。

==========

●人類が目覚めたとき「利他」の文明が花開く

私たちが地球という船もろともに沈んでおぼれないためには、
もう一度、必要以上に求めないという自然の節度を取り戻すほかはありません。
神が人間だけに与えた知性を真の叡智とすべく、
自らの欲望をコントロールする術を身につけなくてはならないのです。
すなわち「足るを知る」心、その生き方の実践が必要になってきます。
いまもっているもので足りる心がなかったら、
さらに欲しいと思っているものを手に入れたところで、
けっして満足することはできないはずです。
これ以上、経済的な富のみを追い求めるのはやめるべきです。
国や個人の目標を物質的な豊かさだけに求めるのではなく、
今後はどうすればみんなが心豊かに暮らしていけるかという方向を模索すべきです。
それが老子のいう、「足るを知る者は富めり」という「知足」の生き方です。
欲しいものが手に入らないときは、手に入るものを欲しがれという格言もあります。
「満足こそ賢者の石」。
知足にこそ人間の安定があるという考え方や生き方を、
私たちは実践していく必要があるのです。
つまり私欲はほどほどにし、少し不足くらいのところで満ち足りて、
残りは他と共有するやさしい気持ち。
あるいは他に与え、他を満たす思いやりの心。
甘いといわれようが、私はそのような考え方が必ず日本を救い、
大きくいえば地球を救うと信じています。

==========
「必要以上に求めないという自然の節度を取り戻す」
「これ以上、経済的な富のみを追い求めるのはやめるべき」
「国や個人の目標を物質的な豊かさだけに求めるのではなく、
今後はどうすればみんなが心豊かに暮らしていけるかという方向を模索すべき」
という著者のお考えに、痛く共感します。

私はまだ若かりし頃から(バブル時代から)、
今ご紹介した著者の考えに基づいた生き方をしてきました。
当時の周りの人たちの生き方からすれば、
数十年先を行く生き方(現在は当たり前とされている生き方)をしていました。
もちろん、今もその生き方を継続中です。

「足りない、足りない」「もっと、もっと」と思う気持ちは、
私たちが「幸せに」生きていくためにプラスに働くでしょうか?
私たちが普段目にする「広告」は、必ず心理学をベースに作られています。
つまり、「どうすればたくさん売れるか」、つまりは、どうすれば多くの利益を得られるか…
という企業の目的を達成するために、消費者心理をコントロールする必要があるわけです。
そのため、私たちは自分の考え方(価値観)をしっかりと持っていなければ、
洗脳され、「企業の思う壺」に心をコントロールされ、
さほど必要ではない物を購入させられてしまうのです。

余談ですが、人間の心をコントロールする一番簡単な手法は、「不安を煽る」こと。
健康番組の中で色々な病気やその苦しみを紹介し、
途中のCMで薬やサプリの宣伝をするというのも、正にこの手法。
不安になった視聴者は、ついついこれらの商品を購入してしまうのです。
番組を見なければ、買わずに済んだかもしれないものを…。

私の体は、健康診断では全て基準値内ではありますが、
「絶好調~!!」ということもありません。
老いてきていますので、そこそこの問題は抱えています。
しかし、何においても「ほどほど」を真ん中に置いて生きていれば、
「まあ、こんなもんでしょ」「十分、十分」と毎日満足して、幸せに暮らしています。

お金や物をたくさん手に入れたからといって、必ず幸せになれるわけではありません。
「できることが増える」ことは間違いありませんが、イコール「幸せ」とはならないのです。

今の私は、本当に毎日が幸せであふれています。
朝起きたら「今日も目が覚めた!」ことを喜び、
朝ご飯を食べるときには「今日も食べるものが与えられている」と感謝し、
仕事に行くときには「働く場所が与えられている」ことに感謝し、
自転車に乗るときには「目が見え、手足が動く」ことに感謝していると、
あまりにも幸せ過ぎてついつい泣きながら自転車を漕ぐこともしばしば。
「私って、なんて幸せなんだろう~!!」と、次から次へと感謝が溢れてくるのです。

数年前から、私が死ぬまでにこの世で為すべきことは何かを考え、
それを形にしようと活動してきましたが、また新たな夢が生まれ、
今度はまたそれを形にしようと動き始めました。
とてつもなく大きな夢ですが、千里の道も一歩から。
まずは自分で小さな一歩を踏み出す勇気が大切。
そして先月、その一歩をようやく踏み出しました。
それはもちろん、私のためではなく、世のため人のためになることです。
私の残りの人生を、「他と共有する」ためにこれまで通り、マイペースで邁進していきます。



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2023-11-04 (Sat)

新しい日本を築け

新しい日本を築け

11月に入りました。今日は久しぶりに、7月末にご紹介した記事の続きです。ちょうど、今の日本に対して色々な思いを抱いている皆さんに是非読んで頂きたい個所をご紹介します。*****●同じ歴史を繰り返すな、新しい日本を築け社会、経済の停滞が続き、ドラスティックな発想転換の必要性がいわれているいまでも、この事情はあまり変わっていません。GDPのコンマ何パーセントかの変動に一喜一憂するような、右肩上がりの思想をほ...

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11月に入りました。
今日は久しぶりに、7月末にご紹介した記事の続きです。

ちょうど、今の日本に対して色々な思いを抱いている皆さんに
是非読んで頂きたい個所をご紹介します。


*****


●同じ歴史を繰り返すな、新しい日本を築け
社会、経済の停滞が続き、ドラスティックな発想転換の必要性がいわれているいまでも、
この事情はあまり変わっていません。
GDPのコンマ何パーセントかの変動に一喜一憂するような、右肩上がりの思想を
ほとんど唯一の「善」として、私たちの多くはいまだに上へ、先へと急ごうとしているのです。
それは、欲望という煩悩を原動力にして、優勝劣敗の競争原理のもと、
物質的豊かさを最優先させる覇道の哲学といえます。
いわば「利を求めて道なし」であり、そうした国のあり方、個人の生き方から、
私たちはまだ抜け出せていません。(略)
いまこそ経済成長至上主義に代わる新しい国の理念、
個人の生き方の指針を打ち立てる必要があります。
それはまた一国の経済問題にとどまらない、国際社会や地球環境にもかかわってくる
きわめて大きな喫緊の課題でもあります。
なぜなら、人間の飽くなき欲望をベースに際限なく成長と消費を求めるやり方を改めない限り、
有限な地球資源やエネルギーが枯渇するだけでなく、地球環境そのものが破壊されないからです。
つまりこのままでは、日本という国が破綻してしまうだけでなく、
人間は自分たちの住処である地球そのものを自分たちの手で壊してしまうことになりかねない。
それと知って、あるいはそれと気づかず、沈みゆく船の中で、
なお奢侈を求め、飽食を楽しむ―私たちはその行為のむなしさ、危うさに一刻も早く気づき、
新しい哲学のもとに新しい海図を描く必要があるのです。


*****


今、私が働いている会社で、昨日全体研修がありました。
私のようなパート従業員も含め、ほとんどのスタッフが集結しました。
2年とちょっと前、私が仲間に加わったときには、
まだスタッフが私を入れて5名しかいなかったのですが、
あっという間に成長を遂げ、スタッフは50名ほどになりました。

さて、この研修では統括マネージャーがメインで話をしたのですが、
私たちを鼓舞するために話していることのベースに、
正に稲盛さんが訴えておられる思想が根付いているな~と思いながら聞いていました。
まあ、彼は40代半ば。経済成長至上主義が根付いているのも仕方ありません。

「皆さん、自分の夢を思い描いて下さい」と彼は言いました。
しばらくして、「どうですか? 海外旅行に行きたいとか? 大きな家に住みたいとか?」など、
彼が例えに出すものは全て、“金で解決すること”ばかり。(笑)
心の中で「ずれてますよ~」とつぶやいた私。

昨日のメンバーには、私のようなおばちゃんやおっちゃんもいましたが、
20代の若い子たちも本当にたくさんいました。
彼らの価値観は、40代半ばのマネージャーとは違うんですよ。
そう、ほとんど欲がない。(みんながみんなではないですが…)
「人を笑顔にしたい」とか「人の役に立ちたい」とか、
そんな思いを持っている子たちがたくさんいます。

「うちの採用基準は、素直であること、努力家であること、
無償の愛を持っていることの3つです」と、マネージャーはいつも言っています。
実際、今のメンバーは300名以上を面接した中から選ばれた人ばかりなので、
1人採用するにあたり、5名ほどはお断りしている計算になります。
それほど厳選してスタッフを選んでいるマネージャーですら、
「経済成長至上主義」から抜け出せないでいるわけです。
彼に「飽くなき欲望」があるからといって、
スタッフも同じだろうと思って話をするのは、正直ズレていますよね。

政治に目を向けても、同じような印象です。
新しい価値観を持ち、新しい時代を切り拓こうと実行に移している
若い世代がたくさんいるにもかかわらず、
いまだ経済成長至上主義から抜け出せない古参の政治家たちは、
ズレている政策を展開し続けています。

斜陽の日本。
著者の言うように、「新しい哲学のもとに新しい海図を描く必要がある」のです。
しかし、誰も「新しい」ことにチャレンジしません。
大きな災害に何度も見舞われても、何も変わりません。

国も身体も人生も同じ。
悪いとわかっていてもやめられずに続けていると、国は劣化し、
身体は病気になり、人生にはトラブルが起きます。
良くないことが起こるとき、「今までのやり方は間違ってないですか?」と
知らせてくれているサインだと、私は受け止めて生きています。
だから、これまでのやり方を改め、新しいやり方(習慣)を導入するのです。
そうすると、新しい自分に変わります。
私はそれを何度も繰り返してきたため、
今のように毎日が幸せに溢れる人生を生きられるようになりました。

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崇高な意思を持った政治家が登場してくれることを祈りつつ、今日の記事を締めたいと思います。
次回も、こちらの本からのご紹介の予定です。




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2023-07-30 (Sun)

利他の心で生きる

利他の心で生きる

子どもたちは夏休み真っ最中!連日の暑さに、倒れそうになってしまいそうですね。(汗)毎日のお昼ご飯の用意が大変になったお母さん方、ご苦労様です。ちょいちょい手を抜きながら、何とか乗り越えてくださいね。さて、今日も4月からご紹介中のあちらの本から。=======================第4章 利他の心で生きる●いまこそ道徳に基づいた人格教育へとシフトせよなぜ、私たちはそれほど根源的な道徳規範を失...

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子どもたちは夏休み真っ最中!
連日の暑さに、倒れそうになってしまいそうですね。(汗)
毎日のお昼ご飯の用意が大変になったお母さん方、ご苦労様です。
ちょいちょい手を抜きながら、何とか乗り越えてくださいね。

さて、今日も4月からご紹介中のあちらの本から。

=======================

第4章 利他の心で生きる

●いまこそ道徳に基づいた人格教育へとシフトせよ
なぜ、私たちはそれほど根源的な道徳規範を失ってしまったのか。
人を思いやる心、利他の心を忘れてしまったのか。
その答えは簡単です。
要するに、大人が子どもにそれを教えてこなかったからです。
戦後およそ六十年がたっていますから、
今生きている多くの日本人は道徳について何も教えられていないといっていいでしょう。
私は戦前の教育を受けた人間なので、そのことがよくわかります。
自主性の尊重を放任と拡大解釈し、自由ばかり多く与えて、
自由と対をなす人間として果たすべき義務については、ほとんど教えてこなかった。
人間として備えるべき当たり前の道徳、
社会生活を営むうえでの最低限必要なルールを身につけることを、
私たちはひどくおろそかにしてきたといえます。
昔から、そういった生きる指針となる哲学というものを人々に教えてくれていたのは、
仏教やキリスト教に代表される宗教でした。
これらの宗教の教えは人々が生活を営む上での道徳、規範となっていました。
隠れて悪いことをしても、神仏はすべてお見通しだからその報いは必ず受けなくてはならない。
また人知れず善行をつんでいる人を神仏を見捨てたりはしない―
こうした観念が信仰によってもたらされ、そこから、
「人間として正しいこととは何か」ということを考えざるをえなかった。
しかし近代の日本では、科学文明の発達に伴い、
こうした宗教はないがしろにされてしまいました。
それに伴って、人間としてあるべき姿を指し示す道徳、倫理、哲学、そういったものさえも、
しだいに忘れ去られてしまったのです。
哲学者の梅原猛先生が
「道徳の欠如の根底には宗教の不在がある」とおっしゃっていますが、
私もまったく同感です。とくに戦後の日本社会では、
戦前の国家神道を核とした思想統制の反動から、
道徳や倫理がふだんの生活や教育の場から排除される傾向が強まったからです。
昨今でも、総合教育を謳いながら、
道徳による人格教育をしようという動きはあまり見られません。
加えて「個性教育」を重視するあまり、
人間として身につけるべき最低限のルールやモラルをきちんと教えない。
幼稚園でも「自由な教育」を標榜し、物心もつかない幼児たちを放任してしまう。
それでは、大人になるまでに必要な最低限のルールさえ身につける機会がありません。
まだ心身ともに成長過程にある少年期にこそ、
「人間としてどう生きるべきか」を学び、
じっくりと考える機会を与えることが必要なのではないでしょうか。

=======================

著者は、
「昔から、そういった生きる指針となる哲学というものを人々に教えてくれていたのは、
仏教やキリスト教に代表される宗教でした」
と語っています。

現在でも、国教が定められている国はたくさんあります。
日本も、以前は神道が国教の時代がありました。
良くない教えもあったのでしょうが、
道徳的・哲学的な良いことが身に付いた時代かもしれません。

私たち人間も、自然の一部に過ぎない存在です。
だからこそ、自分以外のものに対して、常に謙虚でいたいと思います。
それは、他人であったり、自然であったり、宇宙であったり。
自分以外のものに畏敬の念を抱きつつ、生きていければな~と思っています。

私は以前、当時親戚関係にあったある女性からこんな質問を受けました。
「どうしたら、うちの息子、本を読むようになるんですか?」
私が、小学校教諭の免許を持っているから、ヒントをもらおうとしたのでしょう。

真実を告げることは当時しませんでしたが、答えは以下の通りです。
「まずあなたが、本を読むことを大好きになることです」
親が本を楽しんで読んでいれば、寝かしつけの際、たくさんお話をしてあげたくなるでしょう。
親が本を楽しんで読んでいれば、その姿を見た子供も、本を読んでみたくなるでしょう。

ちなみに、私の両親は結構本を読むことが好きで、
小さい頃から本棚にたくさんの本がありました。
では、私が親が好きな本を読んだかというとそうではなく、自分が読みたい本を読みました。
つまり、普段の生活の中で、「本を読む」ことが当たり前に存在しているか否か。
親が本を読みもしないのに、我が子に本を読んで欲しいなんて…。
そんな都合の良い話はないんです。(笑)

道徳・哲学も一緒。
親が持っている道徳観や哲学が、全くそのまま子どもに浸透するわけではありませんが、
とても強く影響されることは間違いありません。
我が子に「どうして、こんな子なの?」と思われたら、是非ご自身を振り返ってみましょう。

私はまだ見ていませんが、「君たちはどう生きるか」という映画が封切られましたね。
同名タイトルの小説とマンガは、数年前に読んだことがあるのですが、
正直、それほど感動はしませんでした。
もっと感動する本を山のように読み過ぎたのかもしれません。(笑)
それはともかく、人としてどう生きるべきかということを真剣に考える…
というチャンスを得られないまま、大人になってしまう人があまりにも多すぎるのでしょう。

大丈夫です。
人生100年と言われている今、40代でも、50代でも遅くありません。
是非今からでも、残りの人生をどう生きるべきか、真剣に考えてみませんか?





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2023-06-26 (Mon)

労働の意義、勤勉の誇りを取り戻そう

労働の意義、勤勉の誇りを取り戻そう

6月もそろそろ終わり。とんでもなく円安が進み、輸入に頼っている日本は物価が上がり続けています。なのに、給料が思うように上がらない…。不安や不平不満で心が満ちていませんか?私は、こう考えています。「日本が本気で日本を見直すチャンス到来!」円が安かろうが高かろうが、日本国内で全てを賄えるようになれば、関係がなくなります。技術革新によって世界のつながりが容易になった今、ついつい他力本願的な発想をしてしまい...

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6月もそろそろ終わり。
とんでもなく円安が進み、輸入に頼っている日本は物価が上がり続けています。
なのに、給料が思うように上がらない…。
不安や不平不満で心が満ちていませんか?

私は、こう考えています。
「日本が本気で日本を見直すチャンス到来!」


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円が安かろうが高かろうが、日本国内で全てを賄えるようになれば、関係がなくなります。
技術革新によって世界のつながりが容易になった今、
ついつい他力本願的な発想をしてしまいがち。
しかし、これまでの円高で海外に工場を持っていた企業も、
日本で工場を作った方が人件費も運搬費も安くなるわけですから、
当然国内の求人も増えてくるのではないでしょうか。
日本の地方にこういった工場をたくさん作って、若者たちの地方移住も促進できれば、
地方も活性化できるのではないかと思います。
拠点的なものができれば、それに付随して様々な人や物が集まります。
それとともに、人とのつながりの大切さも見直され、助け合いながらみんなで生きていく…。
そんな社会が出来ていくチャンスなのではないかと思っています。

日本は既に物が余っている状態。供給過多なんです。
だから、円安なのであれば、海外で売れるものを作ってどんどん輸出すればいい。
日本国内で消費されるものではなく、海外で消費されればいいわけです。
で、日本国内では、余ったものを分けてあげたり、借りたり、貸したりしながら、
あまりたくさんのものを持たず、あまり消費せず…ということができれば、
お金のために自分の時間を犠牲にしてまで働く必要などなくなります。
そうすれば、自分にとって大切なことのために有意義な時間を過ごすことが可能になります。
こんな生き方ができる社会が、これから若者たちの素晴らしい発想と技術で
そう遠くない将来実現しているのではないかと期待しています。

さて、今日もあちらの本から。

===================
●労働の意義、勤勉の誇りを取り戻そう

近代以降、とくに戦後において、働くという行為の意義や価値が
「唯物的に」とらえられすぎたきらいがあります。
働く最大の目的は物質的豊かさを得ることにあり、
したがって仕事とは、自分の時間を提供して報酬を得るための手段であるという考えに、
私たちは慣れてしまっています。
そこからは当然、労働はお金を得るために行わなくてはならない苦役だから、
なるべく楽をして、多くのお金をもらうのが「合理的である」という考え方が生まれてきます。
このような労働観は日本の社会を広く覆い、たとえば教育の場にも浸透していきました。(略)
何か熱心に働くことが罪悪であるかのような風潮がまかり通る時代を経て、
いまでは勤勉の価値はかなり下位に追いやられています。
余暇を精神的余裕の母体として考える欧米流の労働スタイルを、私は否定しようとは思いません。
しかし、それを無批判に受け入れて、
働くことの価値を軽視するような振る舞いは大きな間違いであると思うのです。
同様に、労働を生活の糧を得るための物質的手段とだけとらえることも
また誤りだと考えています。
これまでも述べてきたように、そこには心を磨き、
人格を練るという精神的な意義もおおいに含まれている。
もともと日本、あるいは東洋には、この労働のもつ精神性―労働を
人間形成のための精進の場としてとらえる視点が、確固として存在していました。(略)
遊んでいるときよりも働いているときに喜びを感じる精神性。
単純労働であっても、そこに創意工夫を働かせて仕事を楽しくする術。
他人から強制されて「働かされる」だけでなく、
自分が労働という行為の主体となって「働く」智恵。
そういうものをたしかに私たちは有していました。
かつてはもっていたが、いまはほとんど失ってしまった、
そういう日本人の労働観の意味するところを、あらためて考えてみるべきではないでしょうか。
人は仕事を通じて成長していくものです。
自らの心を高め、心を豊かにするために、精いっぱい仕事に打ち込む。
それによって、よりいっそう自分の人生をすばらしいものにしていくことができるのです。

===================

働く最大の目的は「物質的豊かさを得ること」「生活の糧を得るための物質的手段」ではなく、
「心を磨き、人格を練るという精神的な意義」「人間形成のための精進の場」であると、
著者は語ります。

こう聞くと、何だか時代錯誤だし、仕事が“辛いもの”であるかのような印象を受けますよね。(汗)
確かに、そんな現場に従事しておられる方もいると思います。
著者が現役でバリバリ働いておられた時代ならともかく、
これからの時代はそこまで考えなくても良いように思います。
ただ著者の言うように、「働いているときに喜びを感じる」
「創意工夫を働かせて仕事を楽しくする」「自分が主体となって働く」ことは、
とても大切だと思います。
この考えは、大学時代、勤労学生として「生活の糧」を得るために
必死で働いていた私が実践していたからこそ、自信を持ってお伝え出来ます。

仕事を「自分自身と戦うゲームにする」という考え方を持っていましたし、今も持っています。
まずは、自分が喜びを感じられる可能性が高い職種を選ぶということ。
私は人と関わることが大好きなので、そういった職種を選びますが、
逆に一人でいることが好きな人からすれば、苦痛ばかりの仕事になるでしょう。

そして、どうすればより楽しく仕事ができるかを、自分なりに考えて実践するのです。
たとえば、トイレの掃除をするとして、
どうすれば最も効率よく綺麗にできるかを試行錯誤するとか。
昨日よりも早く、より綺麗にできれば「(昨日の自分に)勝ち」とか。
ゲーム性を持たせるんですね。実際、私、これやってました。(笑)

一生懸命、自分なりにやっているうちに、魂は勝手に磨かれていくと思います。
これからの時代は、自分が自分らしくいられること、ガツガツせずマイペースを保てること、
そして少ない収入でも自分が満足できる生活を
上手に組み立てられることが大切ではないでしょうか。
自分を大切にできる人は、他人も大切にできますし、器の広い人でいられます。
そんな人が増えていくことを願いつつ…。

次回もこちらの本からのご紹介です。




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2023-06-04 (Sun)

働くとは…

働くとは…

6月に入りました!昨日数年ぶりに動物園に行ってきたのですが、動物の数、動物の種類が減っていて驚きました。ゾウもトラも亡くなってしまい、その他にも「亡くなりました」とのお知らせが貼ってあるものがたくさん。動物園にゾウがいないというのは、結構な衝撃でした。さて、今日は久しぶりに、あの本のご紹介の続きです。===================●単純な原理原則が揺るぎない指針となる人格というものは「性格+...

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6月に入りました!
昨日数年ぶりに動物園に行ってきたのですが、
動物の数、動物の種類が減っていて驚きました。
ゾウもトラも亡くなってしまい、
その他にも「亡くなりました」とのお知らせが貼ってあるものがたくさん。
動物園にゾウがいないというのは、結構な衝撃でした。

さて、今日は久しぶりに、あの本のご紹介の続きです。

===================

●単純な原理原則が揺るぎない指針となる
人格というものは「性格+哲学」という式で表せると、私は考えています。
人間が生まれながらにもっている性格と、
その後の人生を歩む過程で身につけていく哲学の両方から、人格というものは成り立っている。
つまり、性格という先天性のものに哲学という後天性のものをつけ加えていくことにより、
私たちの人格―心魂の品格―は陶冶されていくわけです。
したがって、どのような哲学に基づいて人生を歩んでいくかによって、
その人の人格が決まってくる。
哲学という根っこをしっかりと張らなければ、
人格という木の幹を太く、まっすぐに成長させることはできないのです。
では、どのような哲学が必要なのかといえば、それは「人間として正しいかどうか」ということ。
親から子へと語り継がれてきたようなシンプルでプリミティブな教え、
人類が古来培ってきた倫理、道徳ということになるでしょう。(略)
すなわち、嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、
正直であれ、欲張ってはならない、自分のことばかりを考えてはならないなど、
だれもが子供のころ、親や先生から教わった―そして大人になるにつれて忘れてしまう―
単純な規範を、そのまま経営の指針に据え、守るべき判断基準としたのです。


●人生の心理は懸命に働くことで体得できる
一般によく見受けられる考え方は、労働とは生活するための糧、報酬を得るための手段であり、
なるべく労働時間は短く給料は多くをもらい、あとは自分の趣味や余暇に生きる。
それが豊かな人生だというものです。
そのような人生観をもっている人のなかには、労働をあたかも必要悪のように訴える人もいます。
しかし働くということは、人間にとって、もっとも深遠かつ崇高で、
大きな価値と意味をもった行為です。
労働には、欲望に打ち勝ち、心を磨き、人間性をつくっていくという効果がある。
単に生きる糧を得るという目的だけではなく、そのような副次的な機能があるのです。

===================

人格や人間性、人間力というものを言葉で表現しようとすると、とても難しいですよね。
著者である稲盛氏は、人格を「性格+哲学」という式で表せるとおっしゃいます。
「どのような哲学に基づいて人生を歩んでいくかによって、その人の人格が決まってくる」
というのは、確かにその通りだと思いますよね。
世の中には、色んな価値観の人がいます。
ですので、人生の基に据えている「哲学」も様々でしょう。

どのような「哲学」を持つか。
自分自身がスッと受け入れられるものであったり、確信を持てるものであったり、
憧れの人が持っている哲学を受け入れるのも良いかもしれません。
もし、これまでの人生を振り返り、何か上手くいっていないと思うのであれば、
根っこの「哲学」が間違っていたのかもしれません。
そのような場合は、その哲学を新たなものに変えて人生を歩み直せば、
その後の人格はよりよきものとなるように思います。

さて、「仕事」についても書かれています。
みなさんは、「仕事」というものをどのように捉えておられるでしょうか。
稲盛氏のおっしゃるように、生活するための糧、報酬を得るための手段でしょうか。
確かに、すべての人が自分が希望する職種につけるわけではないことを考えると、
このような考え方も一理あります。しかし、
「労働には、欲望に打ち勝ち、心を磨き、人間性をつくっていくという効果がある」
と書かれているように、仕事を通して、
人として成長させてもらうこともたくさんあるということを、
きっと実感として持っておられるでしょう。

どのような姿勢で仕事に向き合うかによって、自分が得られるものは変わってくると思います。
私はこれまで、本当にたくさんの種類の仕事をしてきました。
幸い、どこで何をしても、それなりの結果を残すことができました。
それは、いつも「言われたことだけをする」のではなく、
「言われたこと以上のものを提供する」覚悟を持って仕事に臨んでいたこと、
そして、仕事に自分らしさを加えること、
自分なりに真剣に考えたことを即行動に移すことなどが、
功を奏したのではないかと思います。

仕事を与えられていることは、本当に感謝なことです。
いま自分が置かれている場所で、自分が「間違いない」と信念を持って全力を投入すること。
そして、自分の能力と時間(命)を提供することによって手に入れるものを、
「お金+α」にする気概を持って仕事に挑むこと。
このαというのは、知恵や技術の習得であったり、人間関係について学ぶことだったり、
経験値だったり、なんでもいいのですが、折角大切な命を提供する以上、
そこで「お金以上の何かを手に入れたい!」と思って仕事をしてきました。
そう、貪欲なんです。(笑)
生きていれば、辛いこともたくさんあります。
でも、そうやって魂を錬磨されることによって、後々役立つものを身につけていくのです。

次回もこちらの本からのご紹介です。




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