「なる」のではなく、「感じる」幸せ

いよいよ今日は、今ご紹介中の本の記事、最終回です。
とってもいいことが書かれているので、是非ご覧下さいませ。

==================================

●幸せに「なる」ことはできない
「あとは子どもさえできれば、私は幸せになれる」とぼくに言った人がいた。
ほとんどの人がこんな風に幸せのことを考えているのではないだろうか? 
つまり何かの条件を達成しさえすれば幸せに「なれる」のではないかと。

「幸せ山」という名前の山頂に立ちさえすれば、
その後「幸せ山」の踏破者として、今後の幸せが保証される。
「幸せマラソン」を走り、テープさえ切れれば、
「幸せ」という名のメダルが与えられる。
だが幸せはそんな頂きや、目的地のような形はしていない。
だから幸せに「なる」ことはできない。
瞬間的になった幸せも、すぐに慣れて、
当たり前の日常になってしまうのだから。
(略)
子どもが欲しい、自分に足りないのは子どもだけだと思っている人が、
子どもを持った3年後の気持ちを想像することもできない。

幸せは「なれる」ものではない。
幸せのお手本をうまくなぞれたご褒美として、幸せは与えられるものでもない。


●「なる」のではなく、「感じる」幸せ
幸せになることはできない。
幸せはその都度「感じる」しかないものだと思う。
その瞬間、瞬間に「感じる」しかないものが幸せだ。
そして人が経験できるのは「今」という時間だけ。
たった「今」、この瞬間の幸せを感じられない人は
明日も明後日も、1年後も幸せは感じられない。
明日も明後日も、1年後も訪れてしまえば「今」なのだから。
逆に言えば「今」から、いつまでも人は幸せを「感じる」ことができる。

==================================

まず、前半のパート。
「幸せの定義」というか、世間一般の価値観というか、常識というか、
そういうもので自分の幸せを測ってしまうと、
「あとは子どもさえできれば、私は幸せになれる」
などという、短絡的な発想をする人になってしまうのでしょう。

「何かの条件を達成しさえすれば幸せに『なれる』」わけではない
…と著者は言います。なぜなら、
「瞬間的になった幸せも、すぐに慣れて、当たり前の日常になってしまう」
からだと。
あれほど手に入れたかったものを手に入れてしまったら、それで終わり。
手に入れた後のことなんて、大抵真剣に考えていないのではないでしょうか。
持っていることが当たり前になると、また新たな欲しいものが出てくる。
本当に人間って、貪欲で愚かな生き物ですよね。(汗)

著者の次の表現が、とてもうまいな~って思いました。
「幸せのお手本をうまくなぞれたご褒美として、幸せは与えられるものでもない」

そして、後半。
幸せとは、「なる」ものではなく、「感じる」もの。
本当に、その通りだと思います。
幸せになる、なりたい…と思うことは、今が不幸だと肯定する行為です。
でも、人間は誰しも、幸せに生きていたいと思っているはず。
だとすれば、「幸せになる」ことを追い求めるのではなく、
どうすれば「幸せに生きる」ことができるのかを、考える必要がある。
そう、思われないでしょうか?

私はここ数年、どうすれば毎日、幸せを味わいつつ生きていられるか考え、
そして、実践を繰り返してきました。
旬の物を戴いた時の、香り、味、食感など、全てを堪能し尽くすこと。
四季折々の花々の色や香り、鳥たちの囀り、木々のざわめきに気付くことの大切さ。
過去に生きるのでもなく、未来を案じるのでもなく、
ただ只管に、「いま、この瞬間」を味わい、感謝して日々暮らすことができれば、
自分の人生は、間違いなく「幸せなもの」になることを実感しています。

「幸せ」というものは、どこかからやって来るものでもなければ、
だれかが与えてくれるものでもありません。
まずは、自分で「幸せに生きる」決心をすること。覚悟を持つこと。
そして、物事に対する感性を磨くこと。(これ、とっても大切です)
何より、他人と比べるという行為をやめること。
最後に、何事に対しても感謝の気持ちを持つこと。
これらができるような自分になれば、きっと幸せな人生を歩めると思います。

以上で、こちらの本のご紹介は終了です。




          ★他にも、節約ブログがたくさん見付かりますよ★  
             
          ↑こちらの2つのバナーを、クリックして下さいね!↑


感謝

今日ご紹介するのは、「情報」「人との関係」「感謝」について、
著者が書かれている個所です。
それでは、早速どうぞ。

===============================

◇集中力が高まる。自己に徹する
●広げすぎたアンテナをたたむ
「ジャンクインフォメーション」と呼ばれる情報がある。
ネットニュースに代表されるあまり価値のない情報、
一見興味深く人目を引くがその後の人生で、
一度も思い返さないようなただの暇つぶしのための情報が増えた。
そんなジャンクインフォメーションを貪っていれば、
「情報メタボ」と呼ばれる状態にもなる。
ある実験の結果では、過度の情報に触れすぎた人は、
マリファナを吸っているときよりもIQの低下が見られたという。

もはや増えすぎた情報をいかにたくさん得るかではなく、いかに距離を置くか、
いかに「ムダな情報を減らすか」ということの方が今は問題だ。
情報は日々、爆発的に増え続けている。
スマホを持っている人なら、ほとんど無意識のようについつい手が伸び、
メールチェックしたり、ブラウザでリンクを踏み続けたり、
ゲームに明け暮れてしまった経験があるだろう。
受け取るべき情報を減らし、アンテナを広げるのではなく
「アンテナをたたむ」ことの方がもはや切実な課題だ。


◇人との関係が変わる
●人をモノとして見ない
ぼくが大好きな本に『自分の小さな「箱」から脱出する方法』シリーズがある。
ごく簡単にまとめれば、どうやって人間関係はこじれていくのか、
そしてどうやってそれを修復していくのかを説明した本だ。
(略)

このシリーズは本当に素晴らしい本だと思っているので
ぜひ読んでいただきたいのだが、
本のひとつの結論は「人をモノとして見ない」ということだ。

人は毎日顔を合わせる家族や、会社の同僚、
近所の人をついつい固定化されたモノのように見てしまう。
毎日顔を合わせる人とやりとりすれば、
同じようなつまらない反応とその人らしい答えが返ってくるので、
いつしか「モノ」のように、高度なロボットのように見てしまいがちになる。
「モノ」のように見えると当然扱いもぞんざいになる。

そしてお互いがお互いをモノのように思っているので、
人間関係は固定化され、改善されない。
人をモノとして見るのではなく、自分と同じように重要で、
欲求があり、苦労があり、心配事があり、恐怖心がある人として見ること。
自分の思いを裏切らず、人のための行動をしていけば、関係は変わっていく。
人を「モノ」ではなく「人」と見られる。


◇感謝できる
●モノが少ないからこそできた感謝
「もっと」とモノを追い求めていたときには味わえなかった気持ち。
自分に足りないモノばかりを数えていたときには、
今持っているモノに対してなんて感謝することはなかった。
感謝どころか、足りない部分ばかりを見ていた。
だがあれもない、これも足りない、と思っていた部屋には、
ベッドがあり、机があり、エアコンすらもあった。
ぐっすり眠れて、シャワーが浴びれて、食事が作れて、趣味も楽しめる、
安心してくつろげる部屋がそこにはあった。
ついに、雨や風を遮ってくれる壁が天井があることに、感謝し始めた。

●感謝とは「肯定的に見る」こと
感謝はものごとを「肯定的に見る」ことでもある。
コップに残された半分の水を見て、半分もある! と思える人と
半分しかない! と思う人がいる。
そしてコップの水を半分もある! と「肯定的に見る」ということが感謝の本質だ。
コップの水が半分もあるなんて、ありがたい、そういう気持ちだ。
足りないモノを見て、否定的に思うのではなく、
目の前にあるモノを肯定的に見て、これでいいのだ、と思えるのが感謝だ。
感謝とは「肯定的に見る」ことである。

===============================

まず、最初のパート。「情報」について。
私はここ数年、テレビを見ない生活を送っています。
それは、自分に必要ではない情報が勝手に、
私の頭や心に侵入してくることに対する不快感が強くなったため。

たとえば、ゴシップと言われるもの。
私が会ったこともない、話したこともない人が何をしようが、
それが法律を犯すような事件であったとしても、
私がそれについて、ああだ、こうだ…と思うこと自体が、
「必要のないこと」だと強く思うわけです。
つまり、知らなければ、私は自分の感情を振り回されることもなく、
よく知りもしない人のために、自分の貴重な時間を割く必要もないわけです。

では、どうやって「知らない」状況に自分を置くのか。
その答えは、「アンテナをたたむ」ことだと著者は言います。
具体的には、皆さんも想像できますよね。
私も、その大半を実践しています。

2つ目のパートは、ちょっと気になったのでご紹介しました。
残念ながらこの世の中には、「人」を「人」としてではなく、「モノ」と見る人がいます。
自分にとって、損か得か。 役に立つか、立たないか…などの基準で、
相手を値踏みするというか、そんな風にしか人を見ることができない人たちが。
そういう人たちは、まず、自分の行動を見直す必要があるでしょう。

そして、最後のパート。
「自分に足りないモノばかりを数えていたときには、
 今持っているモノに対してなんて感謝することはなかった」
「足りないモノを見て、否定的に思うのではなく、
 目の前にあるモノを肯定的に見て、これでいいのだ、と思えるのが感謝だ」
と著者が言っているように、現状に不満を抱く毎日を送るのではなく、
雨風を凌ぐことができ、飢えることもない毎日に感謝しながら生きれば、
実は、「幸せな人生」を簡単に送ることができるのです。
そのことに気付いた人たちが、ミニマリストには多いのではないかと思います。




          ★他にも、節約ブログがたくさん見付かりますよ★  
             
          ↑こちらの2つのバナーを、クリックして下さいね!↑


「貪欲」からの自由

現在、ご紹介中のこちらの本。

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -


皆さん、興味を持ってご覧いただけてますか?
私は、本当に素晴らしい1冊だと思っています。
節約生活を成功させたい皆さんには、是非とも読破して頂きたい1冊です。

では今日も、こちらの中から印象に残った個所を。

=============================

●老後も10万円稼げばいい
ミニマリズムを進めていくと本当に自分を他の人と比べなくなってくる。
「自分はこんな仕事をすべき人間じゃない!」「あの雑誌みたいに暮らしたい」
「人から貧乏だと思われたくない」というムダな自己意識さえ外せれば、
月10万円稼げる職業はたくさんある。
(略)

自分の生活水準を保つため、おかしな職場で自分をすり減らしながら生きたり、
自殺に追い込まれるまで働くのは本末転倒だ。
(略)


●「自分」からの自由
ぼくが大量に持っていた本やDVDやCDを「自分自身」だと思い込んでいたように、
自分が持っているモノを「自分自身」だと考えている人は多いだろう。
自分が好きなモノはなかなか捨てられない。
理由はそんな大事なモノを捨てるなんて、
自分の一部を切り取られてしまうように感じてしまうからだ。
(略) 
だがぼくは「自分自身」だと思っていた、本やCDやDVDを手放すとき、
たとえようのない開放感を得られた。
(略)

「好きだからこそ、自分自身」だと思えるモノ。
それを捨てることは、自らを縛っている「自己認識」からも自由になることだ。
(略)


◇人と比べなくなる
●誰にでも自分より優れた人がいる
人と比べるのが問題なのは、
どこまでいっても自分より優れている人がいるということだ。
どれだけお金持ちだろうが、イケメンだろうが美女だろうが上には上がいる。
(略)

モノを捨てて、ぼくは自分を誰とも比べなくなった。
以前は誰かと比べてみすぼらしい部屋に住んでいる自分が恥ずかしかった。
欲しいモノを欲しいだけ買える人を見て、羨ましくもなったりした。
今はもうそんな気持ちとさよならできた。
永遠にインフレを起こしていく
「持ってる天下一武道会」に参加するのをやめたからだ。


◇人の目線を恐れなくなる
●スティーブ・ジョブズは緊張しない
ミニマルなファッションにはそれ以外にも変わるものがある。
飽きのこないモノを選んでいるから、
自分が流行に遅れているかどうかが気にならなくなる。
奇抜なファッションをしないから、自分にほんとうににあっているかどうか、
コーディネートが正しいかどうか、他人の判断に怯えることもない。
他人の高価な服を羨ましく思ったり、安価な服を着ている自分を恥じたりしなくなる。
つまりは他人の目線を気にしなくなる。
(略)

=============================

まず、最初のパート。
「自分の生活水準を保つため、おかしな職場で自分をすり減らしながら生きたり、
 自殺に追い込まれるまで働くのは本末転倒だ」
とありましたが、これはまさにその通り。
生活水準を保つことが、命を削らなければならないほど大切なことなのか。
一度立ち止まって、自分の価値観や生き方を見つめ直すことも重要でしょう。

次のパートでは、所有物=自分自身と思っているのではないか、ということ。
何でもそうですが、実際に行動してみて初めて分かることがあります。
著者は、これまで自分自身だと思っていたモノを捨てて初めて、
自らを縛る「自己認識」から自由になった体験をされたのです。

3つ目のパートでは、「上には上がいる」ということ。
もちろん、「下には下がいる」わけですが、私たちは下を見ることはせず、
いつも上を向いて、誰かに憧れたり嫉妬したりしながら、
登ろう、登ろうとしてしまう生き物のようです。
「他人と比べない幸せ」を手に入れた著者は、嫉妬や羨望から解放され、
自分らしく、そして自由に生きる快適さを満喫しておられることでしょう。

そして、最後のパート。
これは、私もすごく共感できたのですが、私は独身時代から、
「流行を追う」「流行を取り入れる」ファッションが嫌でした。
だって、いくらそのデザインが気に入っていても、来年着た時、
「あ、あれ去年のだよね~」って周りに思われるのが不満だったから。
だから、私はヨーロッパの人たちのように、「定番」のデザインを選び、
いつ着ても、違和感のないものを揃えるようにしてきました。
もちろん、お手頃価格。(笑)
でも、自分が気に入っていて、しかも似合っていれば、それで十分。
他人の目も評価も気にならず、自分が快適に過ごせるわけですから。

「他人と比べない」というのは、幸せに生きる秘訣です。




          ★他にも、節約ブログがたくさん見付かりますよ★  
             
          ↑こちらの2つのバナーを、クリックして下さいね!↑


モノを捨て、ぼくが変わった12のこと

現在ご紹介中の本、皆さん、どのような印象を持ってご覧になっておられるでしょうか。
「先が気になる!」という方は、是非購入されて一気に読み切って下さい!
本当に、ためになることがたくさん書かれていると思います。

今日ご紹介する個所は、私も経験を通して強く実感していること。
ぜひ皆さんにもお伝えしたくて…。
是非、ご覧下さい。

=============================

第4章 モノを捨て、ぼくが変わった12のこと
◇時間ができる
●メディアや広告に惑わされる時間が減る
家にいてテレビを見ていても、家から1歩外へ出ても、
メディアや広告、本当にありとあらゆるものを通じて、
強迫的なメッセージがぼくたちに送られてくる。
できるだけお金を儲けて貯め込みましょう、より美しくスリムになりましょう、
いい学校に入りましょう、快適な家に住みましょう、健康になりましょう、
競争して勝ちましょう、もっとファッショナブルになりましょう、
成長し拡大しましょう、さらに知識を蓄えましょう、いつか来る危険に備えましょう。
映画監督のトム・シャドヤックはそんな状況をシンプルに喝破した。
「ようするに“今のままの君じゃダメ”というわけだ」

ミニマリズムを意識していると、あらゆるメディアや広告に惑わされる時間が減る。
「自分は必要なモノをすべて持っている」という自覚ができるからだ。
(略)
ミニマリズムのひとつの帰結は、
「あなたに足りないモノなんかない!」ということだ。
足りないと思うモノのために、心がかき乱される時間も減る。


◇生活が楽しめる
●モノを減らすだけで、自分が好きになれる
早起きし、出社する前にゆっくり朝食をとり
掃除も洗濯もきちんと済ませてから出かけるのと、
ギリギリまで寝ているのでは、出社後の仕事のやる気もまるで違う。
きちんとした生活を送るだけで、自分に自信が持て、自分のことが好きになれる。
自分のことが好きになれれば、他のことに挑戦しやすくなる。
生活から人は変われる。


◇自由と開放感を感じられる
●新しい住まい方の自由
2040年に40%にも達するといわれている空き家率。
そして地震予測を見れば、遅かれ早かれ、
これからも日本は定期的に地震に見舞われることがわかる。
固定された家に住むことのリスクは年々高まっている。
「住む」ことの新しい試みに共通するのは、
固定化された家のようにたくさんのモノが置ける大きな家ではないということだ。

モノの少ないミニマリストなら、どんな住まい方も選択しやすい。
(略)

=============================

私が情報コントロール生活を始めて、4年近く経ちました。
テレビを見ない、スマートホンを持たない、安易にインターネットに接続しない、
なるべく繁華街へは出かけない、目的もなくショッピングセンターをうろつかない、
…などなど、音や光を用いた「広告・宣伝」という名の“刺激”が溢れる空間に
できるかぎり身を置かない努力を現在も続けています。
それは、私が人生で一番手に入れたいものが、ハッキリとわかったから。
「心の平穏」が、私が最も手に入れたいものなんです。
だから、「平穏」を掻き乱すようなものから距離を取るのは、
私にとっては自然の成り行き。
「今のままの君じゃダメだ!」なんて、誰からも言われないなんて、素敵でしょ?
私に必要なものはすべて既に与えられていると実感し、感謝して生きています。
今の生活パターンに、私自身、大満足しています。

2つ目のパートに、
「きちんとした生活を送るだけで、自分に自信が持て、自分のことが好きになれる」
とありましたが、これも本当にその通り。
私もここ数年、早寝早起きの生活に変え、それを継続していますが、
「時間に追われる生活」ではなく、自分で「時間をコントロールする」感覚が持てて、
何者かに振り回されることのない、自立した生活を送れている満足感があります。

そして、最後のパート。
現在、私は賃貸住まいを続けているわけですが、これはやはり、
「持ち家」に対する憧れが全くないということもありますが、
何よりも、移動の自由と、不動産に自分が固定されることを避けたいから…
というのが、大きな理由です。
様々な天災もありますが、地震列島、台風列島の他、原発列島でもある日本。
これから、想像もしなかったとんでもない事態が待ち構えているかもしれません。
これまでは他人事でしかなかった「難民」に、私たち自身がなるかもしれません。
先々の大きな不幸や不安を嘆き、今を苦しみつつ生きる必要などまったくありませんが、
「所有物を減らす」ことにより、より多くの自由が得られることは、実感しています。
必要最低限の物と、現状に満足できる思考回路、そして健康。
これさえあれば、十分「幸せな人生」と呼べるのではないでしょうか。




          ★他にも、節約ブログがたくさん見付かりますよ★  
             
          ↑こちらの2つのバナーを、クリックして下さいね!↑


   披露宴や2次会などのドレスは、買わずに、レンタルで済ませちゃいましょう♪

「自分の価値」を伝えるためのモノ

現在ご紹介中のこちらの本。
みなさん、どのようなご感想をお持ちでしょうか?
私は大変、感動を覚えています。
私が日頃思っていることを、言葉にしてくれているような…。

では本日も、印象的だった個所をご紹介しましょう。

==========================

●石器と土器は「必要」なモノだった
ときを経て、今あるモノのかなりの部分が、その「機能」ではなく、
別の目的のために使われている。
また「必要」以上のモノはそれを持ち続け、
機能し続けるように管理するために膨大な労力とコストがかかる。
生きるために「必要」でないモノのためにみんな必死で働いているのだ。
モノは石器のような「道具」でなく、いつしかぼくたちの「主人」になってしまう。
かつては従順で大人しく言うことを聞いてくれていたモノが、
知らず知らずのうちに自分たちに牙を剥き始める。


●「自分の価値」を伝えるためのモノ
何の目的のためにそんなにたくさん必要でないモノを持とうとするのか。
そこまでしてモノを持ちたい「目的」とは何なのか? 
結論から言おう。

それは「自分の価値を伝える」目的だ。

ぼくたちは自分の価値を、モノを通して誰かに伝えようと懸命なのだ。


●自分を損なうモノ
そもそもモノは道具で、
石器や土器のように本来はその機能のために使われていた。
はじめは本当に必要なモノしかなかった。
長い時間がたって、社会全体が豊かになると、
いつしかモノは違う目的で使われるようになる。
人間の深い欲求である「自分には価値がある」と確認する目的だ。

人は群れで行動する社会的な動物だから、
(略)
誰かに認めてもらうことで「自分には価値がある」とようやく思える。

「自分の価値」にはパッと見てわかる外見の他に、内面の価値もある。
だがこの内面の価値は、非常に伝えづらく、伝えるのに時間もかかる。
モノを通して内面の価値を伝えた方が、圧倒的にわかりやすく早い。
内面と違い、モノは誰でも見ればわかるのだから。

だが、その便利さに依存しすぎると、多すぎるモノに囲まれることになる。
「自分の価値を伝える」モノが、「自分」そのものに置き換わっていく。
「モノ=自分」になってくる。 するとまたモノは増える。
モノを増やせば自分が増えるような気がするからだ。

そうして増えすぎたモノは、今度は逆に自分に牙を剥いてくる。
時間も、エネルギーも「自分」と化したモノに奪われるはめになる。
そうしてかつて自分の道具だったモノが、自分の主人となっていく。
モノはもう機能のために使われるモノでも、
「自分の価値を伝える」ためのモノでもなくなる。
ついにモノは「自分を損なう」モノになる。
モノが主人で、自分はその奴隷だ。

「自分を損なう」までに増えたモノ。
次々にエネルギーと時間を吸い取る化け物にまで増えたモノ。
主人としてのモノ。 あくせく働き、一生を捧げるためのモノ。
モノという主人をめぐって人が争う異常な事態。

ひとつひとつのモノ自体はよくも悪くもない。
どうやらモノ自体が悪いのではなく、
ここまで増えてしまったモノが悪さをしているようだ。
自分自身と同じまでに高められたモノの価値、同じどころか、
自分の主人にまで高められたモノの価値を一度見直す必要がある。
モノは自分ではないし当然主人でもない。
かつてただの道具だったのだ。
誰かの目線のためにあるモノでなく、自分にとって必要なモノだけ持とう。

==========================

“生きるために「必要」でないモノのためにみんな必死で働いている”
という言葉、どのように感じられたでしょうか?
これこそ、真実をズバッと言い当てているのではないでしょうか。
あってもなくても、さして困らないモノのために、
私たちはどうして、貴重な命や時間を削って生きているのでしょうか。

“モノは、いつしかぼくたちの「主人」になってしまう”という言葉も、
スマホに操られている現代人を見るにつけ、
モノに支配されてしまっている人間の愚かさを感じずにはいられません。

“ぼくたちは自分の価値を、モノを通して誰かに伝えようと懸命”
“「自分の価値を伝える」モノが、「自分」そのものに置き換わっていく。
 「モノ=自分」になってくる。 するとまたモノは増える。
 モノを増やせば自分が増えるような気がするからだ”
これもまた、真実であることを認める人も多いでしょう。
私は、「物を増やすこと = 自分の価値を上げること」だなんて、
これまで考えたことがありません。
でも、「いいものを持つ」「たくさんの物を持つ」ことで、
まるで、自分の価値が上がるかのような気持ちになる人が多いのでしょう。
大変、残念な考え方だとしか言えません。

死んだ時、また、天変地異にあった時、
持っていくことのできないモノのために、貴重な人生を費やすのではなく、
丸裸になってもなお、自分自身が持ち続けられるもののために、
お金も時間も費やしたいと思います。

“自分の主人にまで高められたモノの価値を一度見直す必要がある。
 モノは自分ではないし当然主人でもない”
とありましたが、本当にその通りだと思います。
「モノ」に振り回されず、純粋な「自分軸」を確立すること。
それが、幸せに生きるためには、とても大切なことだと思います。




          ★他にも、節約ブログがたくさん見付かりますよ★  
             
          ↑こちらの2つのバナーを、クリックして下さいね!↑