幸せになるために~シンプル&スマートライフのススメ

堅実に生きて幸せになるための「オススメ本」を紹介するブログ

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2023-08-27 (Sun)

相思相愛

相思相愛

今日は本の紹介ではなく、最近の私の幸せのお話。数年前から、私は障害児の療育をさせて頂いているのですが、現在の勤務先は3か所目。職場を変えるきっかけは、仲間同士の人間関係ではありません。社長(あるいは施設長など)の、経営者側の人間性や考え方についていくのが苦痛に感じたら、他の職場に移ることにしています。これは、福祉業界に身を置いたことがある人には特によく理解して頂けると思うのですが、私の敬愛する稲盛...

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今日は本の紹介ではなく、最近の私の幸せのお話。

数年前から、私は障害児の療育をさせて頂いているのですが、現在の勤務先は3か所目。
職場を変えるきっかけは、仲間同士の人間関係ではありません。
社長(あるいは施設長など)の、経営者側の人間性や考え方についていくのが苦痛に感じたら、
他の職場に移ることにしています。

これは、福祉業界に身を置いたことがある人には特によく理解して頂けると思うのですが、
私の敬愛する稲盛和夫さんのように、
「私心、ありやなしや」と常に自分に問いかけて事業に取り組んでいる人は、
残念ながら少ないのです。

民間が参入しているわけですから、利益の追求をするのは当然のことです。
しかし私は、そのことを最重要だと考えて、福祉の仕事をしている企業は嫌いなんです。
税金が投入されているので、必ず回収できるという安心感・安定性から、
この事業に参入する企業が多いのですが、
「これをやったら、儲かるらしい」という考えだけでやってもらいたくないんです。
崇高な考えを持って、ある程度のボランティア精神も兼ね備えつつ、
こういった事業に取り組んでもらいたいと思うのです。
だから、そういった魂胆が発覚すると、耐えかねて辞めることを考えます。

それから、実際に療育を行っていくうえで、
企業として何を最重要と考えるか…ということも、私は見ています。

たとえば、職員に辞められたら困る…という思いが強い企業は、
職員が働きやすい職場を最優先にします。
「契約するのは親だから…」と、保護者受けすることを最優先にし、
利用者である子どものことを後回しにする企業もあります。

でも私は、子どもを最優先に考えて療育にあたって欲しいと思うのです。
もちろん、私自身はそれを実践していますし、幸い、今の職場の仲間たちも、
(やり方は人それぞれではあるものの)愛に溢れる人たちばかりなので、
今のところは頑張って続けられています。

私が大切にしていることは、子どもたちとのスキンシップ。
だから、「こちょこちょ」のくすぐりあいっこは、私も子どもも大好きな遊びの1つ。
やり方(持って行き方)は私が考えたやり方なのですが、これが子どもたちに大うけ!(笑)
「やって~!」「やって~!」と、次から次へとリクエストが入ります。

他にも、子どもがボケたら(さすが関西人!!)速攻で突っ込みを入れるとか。
一緒にボール遊びをして汗をかくとか。
それから、本気で叱る!こともしています。
もちろん、叱られた子どもが泣いてしまうこともあります。
でも、叱られた子も、私のことをずっと大好きなままなんです。
恐らく、私が最も大事にしている仕事を、彼らが感じ取ってくれているからだと思います。

それは、「本気で子どもたちを愛すること」。

私の愛を彼らがきちんと受け取ってくれているので、強固な信頼関係ができているんです。
だから、こちょこちょ遊びや鬼ごっこなどの体を使った「動」の遊びも、
一緒にブロックで色んなものを作ったりする「静」の遊びもしながら、
でも途中途中で、叱ったり、泣くほど叱られることもありつつ、
私も子どもたちも一緒に、成長し続けています。

私が床に座っていると、子どもたちは当たり前のように膝にのってきます。
すると、他の子どもが、その子どもを押しのけて自分が座ろうとする。
でも、前から座っている子どもも踏ん張る。
で、気がつくと、私の膝の上には3人の子どもがのっていて、
両肩にそれぞれ1人ずつ子どもがおぶさってきていて…。
子どもが鈴なり状態になることもしばしば。(笑)

実は私、この職場で最高齢なんですが、いつの間にか
子どもたちから「こちょこちょ先生」「おもしろ先生」と呼ばれ、結構人気なんですよ。
施設に到着するや否や、私のところへ全速力で走って来て、
私の足をガシッと両手で掴んで抱きつく子どももたくさんいます。
たくさんスタッフがいますが、こういったことをされるのは私だけ。
子どもたちにとって、距離感の近い大人なんでしょうね。嬉しい限りです。

あ! もちろん私も子どもたちに叱られることもありますよ。
「先生、声が大きすぎる~!」ってね。(笑)

私は、いつも笑顔で彼らと接しています。どんなときも。
だから、色んなスタッフが並んで何かをするとき、子どもたちは圧倒的に私の顔を見るんです。
なぜかというと、私が一番笑っているから。
子どもたちは、笑顔が大好きなんです。

ちなみに、私が大きな声を出すタイミングは、
子どもたちのテンションが上がり過ぎて、収拾がつかなくなったときなのですが、
その時に、「静」の遊びをしている子どもから叱られます。
「僕はうるさくしてないのに、先生の大きな声を聞かされるのはおかしい」
と思うんでしょうね。(笑)

この子どもたちの中に、どのスタッフからも
「ほんと、かわいいよね~」と言われている男の子がいます。
癇癪がひどくて、物を投げるし暴れるし、ちょっと手がかかるのですが、
思いやりも優しさもある、とってもかわいい5歳の男の子です。
その子が、とにかく私のことが好きで好きで仕方ないんです。
もちろん、私もその子が大好き。
相思相愛なんです♥

その子が昨日も私の隣にチョンと座りに来て、
「ねえ、チューしよう!」と、私の頬に長いこと唇を当て、
「ん~~~~~、CHU♡」とキスをしてくれました。(笑)
手をつなぐと、手の甲にキスしてくれたり、後ろから抱きつきながら、首にキスしてくれたり。

彼はこれまで何度も私から本気で叱られ、ギャン泣きしまくってきましたし、
今でもそれは変わりません。
でも、私が彼を本気で愛していることを、彼は理解してくれているんです。

この子を含め、今私がかかわっている子どもたちのことを、私が本気で愛すること。
これこそ、私がしなければならない一番重要な仕事だと思っています。
10年後、20年後、社会に適応できずに苦しむ日が来るでしょう。
そのとき、彼らの拠り所となれるような人であり、
施設でありたいと願いつつ、毎日仕事をしています。

私は人間が大好きです。
その人間を作る一翼を担わせて頂けていることに、毎日幸せと感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にたくさんの子どもたち、しかも、色んな可能性を秘めた子どもたちと出会えたこと、
彼らの人生に関われていることが、嬉しくて仕方ありません。
この喜びは、お金では買えないんです。

生きていくのに最低限必要な収入さえあれば、それで十分。
自分の人生、命、時間を犠牲にしてまで、お金を稼ぐために生きるなんて、
私には考えられません。
いつ果てるとも知れないこの命。
とにかく毎日、お金を稼ぐこと以上に大切な、
「自分の人生を幸せで満たす」ことを最優先にして生きています。




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2023-07-30 (Sun)

利他の心で生きる

利他の心で生きる

子どもたちは夏休み真っ最中!連日の暑さに、倒れそうになってしまいそうですね。(汗)毎日のお昼ご飯の用意が大変になったお母さん方、ご苦労様です。ちょいちょい手を抜きながら、何とか乗り越えてくださいね。さて、今日も4月からご紹介中のあちらの本から。=======================第4章 利他の心で生きる●いまこそ道徳に基づいた人格教育へとシフトせよなぜ、私たちはそれほど根源的な道徳規範を失...

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子どもたちは夏休み真っ最中!
連日の暑さに、倒れそうになってしまいそうですね。(汗)
毎日のお昼ご飯の用意が大変になったお母さん方、ご苦労様です。
ちょいちょい手を抜きながら、何とか乗り越えてくださいね。

さて、今日も4月からご紹介中のあちらの本から。

=======================

第4章 利他の心で生きる

●いまこそ道徳に基づいた人格教育へとシフトせよ
なぜ、私たちはそれほど根源的な道徳規範を失ってしまったのか。
人を思いやる心、利他の心を忘れてしまったのか。
その答えは簡単です。
要するに、大人が子どもにそれを教えてこなかったからです。
戦後およそ六十年がたっていますから、
今生きている多くの日本人は道徳について何も教えられていないといっていいでしょう。
私は戦前の教育を受けた人間なので、そのことがよくわかります。
自主性の尊重を放任と拡大解釈し、自由ばかり多く与えて、
自由と対をなす人間として果たすべき義務については、ほとんど教えてこなかった。
人間として備えるべき当たり前の道徳、
社会生活を営むうえでの最低限必要なルールを身につけることを、
私たちはひどくおろそかにしてきたといえます。
昔から、そういった生きる指針となる哲学というものを人々に教えてくれていたのは、
仏教やキリスト教に代表される宗教でした。
これらの宗教の教えは人々が生活を営む上での道徳、規範となっていました。
隠れて悪いことをしても、神仏はすべてお見通しだからその報いは必ず受けなくてはならない。
また人知れず善行をつんでいる人を神仏を見捨てたりはしない―
こうした観念が信仰によってもたらされ、そこから、
「人間として正しいこととは何か」ということを考えざるをえなかった。
しかし近代の日本では、科学文明の発達に伴い、
こうした宗教はないがしろにされてしまいました。
それに伴って、人間としてあるべき姿を指し示す道徳、倫理、哲学、そういったものさえも、
しだいに忘れ去られてしまったのです。
哲学者の梅原猛先生が
「道徳の欠如の根底には宗教の不在がある」とおっしゃっていますが、
私もまったく同感です。とくに戦後の日本社会では、
戦前の国家神道を核とした思想統制の反動から、
道徳や倫理がふだんの生活や教育の場から排除される傾向が強まったからです。
昨今でも、総合教育を謳いながら、
道徳による人格教育をしようという動きはあまり見られません。
加えて「個性教育」を重視するあまり、
人間として身につけるべき最低限のルールやモラルをきちんと教えない。
幼稚園でも「自由な教育」を標榜し、物心もつかない幼児たちを放任してしまう。
それでは、大人になるまでに必要な最低限のルールさえ身につける機会がありません。
まだ心身ともに成長過程にある少年期にこそ、
「人間としてどう生きるべきか」を学び、
じっくりと考える機会を与えることが必要なのではないでしょうか。

=======================

著者は、
「昔から、そういった生きる指針となる哲学というものを人々に教えてくれていたのは、
仏教やキリスト教に代表される宗教でした」
と語っています。

現在でも、国教が定められている国はたくさんあります。
日本も、以前は神道が国教の時代がありました。
良くない教えもあったのでしょうが、
道徳的・哲学的な良いことが身に付いた時代かもしれません。

私たち人間も、自然の一部に過ぎない存在です。
だからこそ、自分以外のものに対して、常に謙虚でいたいと思います。
それは、他人であったり、自然であったり、宇宙であったり。
自分以外のものに畏敬の念を抱きつつ、生きていければな~と思っています。

私は以前、当時親戚関係にあったある女性からこんな質問を受けました。
「どうしたら、うちの息子、本を読むようになるんですか?」
私が、小学校教諭の免許を持っているから、ヒントをもらおうとしたのでしょう。

真実を告げることは当時しませんでしたが、答えは以下の通りです。
「まずあなたが、本を読むことを大好きになることです」
親が本を楽しんで読んでいれば、寝かしつけの際、たくさんお話をしてあげたくなるでしょう。
親が本を楽しんで読んでいれば、その姿を見た子供も、本を読んでみたくなるでしょう。

ちなみに、私の両親は結構本を読むことが好きで、
小さい頃から本棚にたくさんの本がありました。
では、私が親が好きな本を読んだかというとそうではなく、自分が読みたい本を読みました。
つまり、普段の生活の中で、「本を読む」ことが当たり前に存在しているか否か。
親が本を読みもしないのに、我が子に本を読んで欲しいなんて…。
そんな都合の良い話はないんです。(笑)

道徳・哲学も一緒。
親が持っている道徳観や哲学が、全くそのまま子どもに浸透するわけではありませんが、
とても強く影響されることは間違いありません。
我が子に「どうして、こんな子なの?」と思われたら、是非ご自身を振り返ってみましょう。

私はまだ見ていませんが、「君たちはどう生きるか」という映画が封切られましたね。
同名タイトルの小説とマンガは、数年前に読んだことがあるのですが、
正直、それほど感動はしませんでした。
もっと感動する本を山のように読み過ぎたのかもしれません。(笑)
それはともかく、人としてどう生きるべきかということを真剣に考える…
というチャンスを得られないまま、大人になってしまう人があまりにも多すぎるのでしょう。

大丈夫です。
人生100年と言われている今、40代でも、50代でも遅くありません。
是非今からでも、残りの人生をどう生きるべきか、真剣に考えてみませんか?





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2023-06-26 (Mon)

労働の意義、勤勉の誇りを取り戻そう

労働の意義、勤勉の誇りを取り戻そう

6月もそろそろ終わり。とんでもなく円安が進み、輸入に頼っている日本は物価が上がり続けています。なのに、給料が思うように上がらない…。不安や不平不満で心が満ちていませんか?私は、こう考えています。「日本が本気で日本を見直すチャンス到来!」円が安かろうが高かろうが、日本国内で全てを賄えるようになれば、関係がなくなります。技術革新によって世界のつながりが容易になった今、ついつい他力本願的な発想をしてしまい...

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6月もそろそろ終わり。
とんでもなく円安が進み、輸入に頼っている日本は物価が上がり続けています。
なのに、給料が思うように上がらない…。
不安や不平不満で心が満ちていませんか?

私は、こう考えています。
「日本が本気で日本を見直すチャンス到来!」


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円が安かろうが高かろうが、日本国内で全てを賄えるようになれば、関係がなくなります。
技術革新によって世界のつながりが容易になった今、
ついつい他力本願的な発想をしてしまいがち。
しかし、これまでの円高で海外に工場を持っていた企業も、
日本で工場を作った方が人件費も運搬費も安くなるわけですから、
当然国内の求人も増えてくるのではないでしょうか。
日本の地方にこういった工場をたくさん作って、若者たちの地方移住も促進できれば、
地方も活性化できるのではないかと思います。
拠点的なものができれば、それに付随して様々な人や物が集まります。
それとともに、人とのつながりの大切さも見直され、助け合いながらみんなで生きていく…。
そんな社会が出来ていくチャンスなのではないかと思っています。

日本は既に物が余っている状態。供給過多なんです。
だから、円安なのであれば、海外で売れるものを作ってどんどん輸出すればいい。
日本国内で消費されるものではなく、海外で消費されればいいわけです。
で、日本国内では、余ったものを分けてあげたり、借りたり、貸したりしながら、
あまりたくさんのものを持たず、あまり消費せず…ということができれば、
お金のために自分の時間を犠牲にしてまで働く必要などなくなります。
そうすれば、自分にとって大切なことのために有意義な時間を過ごすことが可能になります。
こんな生き方ができる社会が、これから若者たちの素晴らしい発想と技術で
そう遠くない将来実現しているのではないかと期待しています。

さて、今日もあちらの本から。

===================
●労働の意義、勤勉の誇りを取り戻そう

近代以降、とくに戦後において、働くという行為の意義や価値が
「唯物的に」とらえられすぎたきらいがあります。
働く最大の目的は物質的豊かさを得ることにあり、
したがって仕事とは、自分の時間を提供して報酬を得るための手段であるという考えに、
私たちは慣れてしまっています。
そこからは当然、労働はお金を得るために行わなくてはならない苦役だから、
なるべく楽をして、多くのお金をもらうのが「合理的である」という考え方が生まれてきます。
このような労働観は日本の社会を広く覆い、たとえば教育の場にも浸透していきました。(略)
何か熱心に働くことが罪悪であるかのような風潮がまかり通る時代を経て、
いまでは勤勉の価値はかなり下位に追いやられています。
余暇を精神的余裕の母体として考える欧米流の労働スタイルを、私は否定しようとは思いません。
しかし、それを無批判に受け入れて、
働くことの価値を軽視するような振る舞いは大きな間違いであると思うのです。
同様に、労働を生活の糧を得るための物質的手段とだけとらえることも
また誤りだと考えています。
これまでも述べてきたように、そこには心を磨き、
人格を練るという精神的な意義もおおいに含まれている。
もともと日本、あるいは東洋には、この労働のもつ精神性―労働を
人間形成のための精進の場としてとらえる視点が、確固として存在していました。(略)
遊んでいるときよりも働いているときに喜びを感じる精神性。
単純労働であっても、そこに創意工夫を働かせて仕事を楽しくする術。
他人から強制されて「働かされる」だけでなく、
自分が労働という行為の主体となって「働く」智恵。
そういうものをたしかに私たちは有していました。
かつてはもっていたが、いまはほとんど失ってしまった、
そういう日本人の労働観の意味するところを、あらためて考えてみるべきではないでしょうか。
人は仕事を通じて成長していくものです。
自らの心を高め、心を豊かにするために、精いっぱい仕事に打ち込む。
それによって、よりいっそう自分の人生をすばらしいものにしていくことができるのです。

===================

働く最大の目的は「物質的豊かさを得ること」「生活の糧を得るための物質的手段」ではなく、
「心を磨き、人格を練るという精神的な意義」「人間形成のための精進の場」であると、
著者は語ります。

こう聞くと、何だか時代錯誤だし、仕事が“辛いもの”であるかのような印象を受けますよね。(汗)
確かに、そんな現場に従事しておられる方もいると思います。
著者が現役でバリバリ働いておられた時代ならともかく、
これからの時代はそこまで考えなくても良いように思います。
ただ著者の言うように、「働いているときに喜びを感じる」
「創意工夫を働かせて仕事を楽しくする」「自分が主体となって働く」ことは、
とても大切だと思います。
この考えは、大学時代、勤労学生として「生活の糧」を得るために
必死で働いていた私が実践していたからこそ、自信を持ってお伝え出来ます。

仕事を「自分自身と戦うゲームにする」という考え方を持っていましたし、今も持っています。
まずは、自分が喜びを感じられる可能性が高い職種を選ぶということ。
私は人と関わることが大好きなので、そういった職種を選びますが、
逆に一人でいることが好きな人からすれば、苦痛ばかりの仕事になるでしょう。

そして、どうすればより楽しく仕事ができるかを、自分なりに考えて実践するのです。
たとえば、トイレの掃除をするとして、
どうすれば最も効率よく綺麗にできるかを試行錯誤するとか。
昨日よりも早く、より綺麗にできれば「(昨日の自分に)勝ち」とか。
ゲーム性を持たせるんですね。実際、私、これやってました。(笑)

一生懸命、自分なりにやっているうちに、魂は勝手に磨かれていくと思います。
これからの時代は、自分が自分らしくいられること、ガツガツせずマイペースを保てること、
そして少ない収入でも自分が満足できる生活を
上手に組み立てられることが大切ではないでしょうか。
自分を大切にできる人は、他人も大切にできますし、器の広い人でいられます。
そんな人が増えていくことを願いつつ…。

次回もこちらの本からのご紹介です。




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2023-06-04 (Sun)

働くとは…

働くとは…

6月に入りました!昨日数年ぶりに動物園に行ってきたのですが、動物の数、動物の種類が減っていて驚きました。ゾウもトラも亡くなってしまい、その他にも「亡くなりました」とのお知らせが貼ってあるものがたくさん。動物園にゾウがいないというのは、結構な衝撃でした。さて、今日は久しぶりに、あの本のご紹介の続きです。===================●単純な原理原則が揺るぎない指針となる人格というものは「性格+...

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6月に入りました!
昨日数年ぶりに動物園に行ってきたのですが、
動物の数、動物の種類が減っていて驚きました。
ゾウもトラも亡くなってしまい、
その他にも「亡くなりました」とのお知らせが貼ってあるものがたくさん。
動物園にゾウがいないというのは、結構な衝撃でした。

さて、今日は久しぶりに、あの本のご紹介の続きです。

===================

●単純な原理原則が揺るぎない指針となる
人格というものは「性格+哲学」という式で表せると、私は考えています。
人間が生まれながらにもっている性格と、
その後の人生を歩む過程で身につけていく哲学の両方から、人格というものは成り立っている。
つまり、性格という先天性のものに哲学という後天性のものをつけ加えていくことにより、
私たちの人格―心魂の品格―は陶冶されていくわけです。
したがって、どのような哲学に基づいて人生を歩んでいくかによって、
その人の人格が決まってくる。
哲学という根っこをしっかりと張らなければ、
人格という木の幹を太く、まっすぐに成長させることはできないのです。
では、どのような哲学が必要なのかといえば、それは「人間として正しいかどうか」ということ。
親から子へと語り継がれてきたようなシンプルでプリミティブな教え、
人類が古来培ってきた倫理、道徳ということになるでしょう。(略)
すなわち、嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、
正直であれ、欲張ってはならない、自分のことばかりを考えてはならないなど、
だれもが子供のころ、親や先生から教わった―そして大人になるにつれて忘れてしまう―
単純な規範を、そのまま経営の指針に据え、守るべき判断基準としたのです。


●人生の心理は懸命に働くことで体得できる
一般によく見受けられる考え方は、労働とは生活するための糧、報酬を得るための手段であり、
なるべく労働時間は短く給料は多くをもらい、あとは自分の趣味や余暇に生きる。
それが豊かな人生だというものです。
そのような人生観をもっている人のなかには、労働をあたかも必要悪のように訴える人もいます。
しかし働くということは、人間にとって、もっとも深遠かつ崇高で、
大きな価値と意味をもった行為です。
労働には、欲望に打ち勝ち、心を磨き、人間性をつくっていくという効果がある。
単に生きる糧を得るという目的だけではなく、そのような副次的な機能があるのです。

===================

人格や人間性、人間力というものを言葉で表現しようとすると、とても難しいですよね。
著者である稲盛氏は、人格を「性格+哲学」という式で表せるとおっしゃいます。
「どのような哲学に基づいて人生を歩んでいくかによって、その人の人格が決まってくる」
というのは、確かにその通りだと思いますよね。
世の中には、色んな価値観の人がいます。
ですので、人生の基に据えている「哲学」も様々でしょう。

どのような「哲学」を持つか。
自分自身がスッと受け入れられるものであったり、確信を持てるものであったり、
憧れの人が持っている哲学を受け入れるのも良いかもしれません。
もし、これまでの人生を振り返り、何か上手くいっていないと思うのであれば、
根っこの「哲学」が間違っていたのかもしれません。
そのような場合は、その哲学を新たなものに変えて人生を歩み直せば、
その後の人格はよりよきものとなるように思います。

さて、「仕事」についても書かれています。
みなさんは、「仕事」というものをどのように捉えておられるでしょうか。
稲盛氏のおっしゃるように、生活するための糧、報酬を得るための手段でしょうか。
確かに、すべての人が自分が希望する職種につけるわけではないことを考えると、
このような考え方も一理あります。しかし、
「労働には、欲望に打ち勝ち、心を磨き、人間性をつくっていくという効果がある」
と書かれているように、仕事を通して、
人として成長させてもらうこともたくさんあるということを、
きっと実感として持っておられるでしょう。

どのような姿勢で仕事に向き合うかによって、自分が得られるものは変わってくると思います。
私はこれまで、本当にたくさんの種類の仕事をしてきました。
幸い、どこで何をしても、それなりの結果を残すことができました。
それは、いつも「言われたことだけをする」のではなく、
「言われたこと以上のものを提供する」覚悟を持って仕事に臨んでいたこと、
そして、仕事に自分らしさを加えること、
自分なりに真剣に考えたことを即行動に移すことなどが、
功を奏したのではないかと思います。

仕事を与えられていることは、本当に感謝なことです。
いま自分が置かれている場所で、自分が「間違いない」と信念を持って全力を投入すること。
そして、自分の能力と時間(命)を提供することによって手に入れるものを、
「お金+α」にする気概を持って仕事に挑むこと。
このαというのは、知恵や技術の習得であったり、人間関係について学ぶことだったり、
経験値だったり、なんでもいいのですが、折角大切な命を提供する以上、
そこで「お金以上の何かを手に入れたい!」と思って仕事をしてきました。
そう、貪欲なんです。(笑)
生きていれば、辛いこともたくさんあります。
でも、そうやって魂を錬磨されることによって、後々役立つものを身につけていくのです。

次回もこちらの本からのご紹介です。




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2023-05-07 (Sun)

キスをしてくる彼

キスをしてくる彼

今日は、余談。前回からご紹介し始めている「生き方」については、また後日。ここ数年、私は障害を持つ(あるいは、グレーゾーン)の子どもたちと接する機会を持っている。その中に、1年半ほど関わっている男の子がいる。この子は自傷と他害行為があり、なかなか手を焼くのだが、私とは最初から結構ウマが合った。とはいえ、ビンタされたり、噛まれたり、引っ掻かれたり、マスクを引きちぎられたりと、お決まりの格闘はすべて経験...

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今日は、余談。
前回からご紹介し始めている「生き方」については、また後日。

ここ数年、私は障害を持つ(あるいは、グレーゾーン)の子どもたちと接する機会を持っている。
その中に、1年半ほど関わっている男の子がいる。
この子は自傷と他害行為があり、なかなか手を焼くのだが、私とは最初から結構ウマが合った。
とはいえ、ビンタされたり、噛まれたり、引っ掻かれたり、マスクを引きちぎられたりと、
お決まりの格闘はすべて経験済みではあるが…。

でも、3カ月ほどで、私達の関係は蜜月に入った。
今でもビンタは時折されてしまうが、それは彼の私に対する愛情に対して、
私が彼の期待に添えない場合に限られる。

実は、ここ最近、彼が私にキスをしてくるのだ。(笑)
私の膝に乗り、好きな絵本を読んだり、一緒に本を見たりするのが大好きな彼。
気を抜くと、私の頬に顔を近づけ「チュ~!」と言いながらキスをしてくる。
私は、彼がキスをしてくれるのはとっても嬉しいのだが、キスをし返すわけにはいかない。
私は彼の彼女でも、親でも、祖母でもないからだ。もちろん、近所のおばちゃんでもない。
責任をもってお預かりしている子どもがいくら私のことが好きであっても、
やっていいこととダメなことがある。

時折、「チューして」と言ってくることがあり、私も彼が大好きだから、
本来なら彼のおでこやほっぺにチューしてあげたいのはやまやまだが、
自分の立場もあり、妥協策として彼の手の甲にチューをしたところ、
久しぶりに思い切りビンタされた。

「違―――――――――――う!!」と大声を出して、怒りをあらわにする彼。

わかってるよ。お顔にチューしてほしいんだよね。
でも、それは無理なんだよ~。
と、心の中で嘆く私。

ちなみに、私と彼の年齢差は48歳。
ほとんど、祖母と孫のようなものなのだが…。(汗)


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彼はようやく「先生」と私を呼べるようになってきた。
まあ、「ちぇんちぇい」という発音にはなっているが…。(笑)
随分と言葉も増えて、結構長い文章も話せるようになってきた。
家には大好きなママがいるが、彼にとってこの場所においては私がママらしい。
随分前から、私のことをずっと「ママ」と呼んでいたし、今も時々わざと「ママ」と呼ぶ。
「ママじゃないよ」というと、「違うよ。〇〇ちゃん(自分の名前)のママよ!」と。

とはいえ、この春から幼稚園へも通い始め、随分成長が認められる彼。
私にべったりから、一人でも色んな子どもたちやスタッフと関われる時間も増えてきたが、
困ったときや不安なとき、悲しいときは私のところにやって来る。
いずれ私の手を完全に離れて、ほどほどの距離感を維持しながらの関係になっていく。
寂しくもあり、嬉しくもあり。
これからも、彼の成長を見守っていきたいと願う。




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